言えない思いは、カプセルに込めて飲んでしまう。





カプスール。     




 

 こつん。


 小さな音にアバッキオが顔を上げると、細い足が2階へと続く階段にあらわれた。
 一歩一歩と踏みしめるような足取りは、弱々しくて頼りなさげ。
 青い布に包まれた細長い2本の脚に引き続き、同じく細い胴体が徐々に姿をあらわし、最後に首から上が視界に飛び込む。 
 いつもはきっちりと巻かれたその金髪が、今日は少し乱れている。
 金の房がひとつ、頬で揺れるその様子をアバッキオは黙って見ていた。
 ジョルノはアバッキオの存在に気がつくと、何かが不満そうな声で小さく「おはようございます」と呟いた。
 眉間に寄った皺も、訝しげに細められた目も、青みがかった肌の色も、不満そうな声色も、
 なにひとつ自分に対してではないことを知っていたアバッキオは

 「飲みすぎだクソガキ」

 とだけ言い、新聞に目を戻す。
 
 「Si」と消え入りそうな声が静かなリビングに響き、片手でこめかみを押さえたジョルノがふらりとアバッキオの前を横切った。
 ジョルノの入ったキッチンから、ジャーと水の流れる音がする。
 次いで、水が喉を鳴らす音がやけに大きく響き、アバッキオは小さく舌打ちをした。

 
 (ったく、クソガキが!!)

 
 心の中で大いにうなずくと同時に、その「クソガキ」本人が再びリビングに入ってきた。
 どうやら顔も洗ってきたらしい。キッチンタオルで適当に拭いたと思われる顔や髪は未だあちらこちらに水滴を残し光っていた。
 重い頭を揺らさないように片手で支えつつ、ジョルノはどっかりと椅子にかけた。
 
 ふう、と小さなため息が聞こえる。
 
 新聞からちらりと視線をそちらにうつすと、天井を仰ぐジョルノの横顔が見えた。
 とろんとした瞳に、うっすらと開かれた薄い唇。
 拭き損ねた水滴が、まるで風呂上りのような姿を演出していた。
 盗み見る横顔は、まるで見てはいけないもののような、奇妙な神聖さを時折感じさせる。
 ただぼんやりと天井を見上げる瞳には、きっと何も写っていないんだろう。

 


 新聞の裏に書き留めるかのように、口の中でかみ締める。
 大人になって、平静さを保つことばかりうまくなってしまった自分が時折憎い。
 誰かれ構わず感情を押し出せればいいのに。
 そう、例えばあいつみたいに。




 脳裏にナランチャとの会話がよぎった。





 『なあ、なあ』

 床に座り込んだナランチャに声をかけられ、アバッキオは表情を変えず「なんだ」とだけ答えた。
 それでもひたすら声をかけてくるので、若干の苛立ちを覚えつつも「んだよ」とややぶっきらぼうに下を向く。
 顔ごと上を向いたナランチャの大きな瞳とぶつかった。
 先ほどまでフーゴから数学の指南を受けていた彼のノートは、床に放りっぱなし。
 フーゴがいなくなったのをいい事に、サボり始めたというわけだ。

 『なぁー』

 『んだよナランチャ。お前またフーゴにぶっ刺されるぞ。』
 
 『いいんだ俺は。それよりなぁ、お前そんなんでいいのかよ』

 いつになく冷静なナランチャの言葉に、今度は怪訝な表情を浮かべる。
 彼が言わんとしていることを理解しようと、首をかしげたアバッキオに、ナランチャは変わらぬトーンでこう告げた。

 『お前のアプローチは、わかりづらいっつーか、わからねぇ』

 数学のノートのはしっこをいじる彼の指先を見つめたまま、アバッキオの思考は停止した。
 
 
 


 (あのアホ、アホだと思ったら時々マジで恐れ入る・・・)

 心の中で、小さくナランチャを賞賛した。
 
 (しかも)



 『手に入れたいなら、それはダメだと思う。俺は。』

 ノートを片手に立ち上がった彼は、テーブルの上に置いてあるものを指差し、そのままきびすを返して部屋を後にした。

 
 (まさかナランチャにアドバイスをされる日が来るとは・・・)

 いよいよヤキがまわったかと、あの時ばかりはアバッキオも少しだけ凹んだ。 
 しかしナランチャの言葉を復唱し、若干の抵抗を感じながらもテーブルの上のものを手に取ったのだ。
 そしてそれは今、アバッキオの手の平の中。


 (そう、俺は、決して)


 恋じゃない、と心の中で繰り返しても、視線はジョルノの横顔から剥がせない。
 少し苦しそうに酸素を取り入れるたび、上下する喉や、その白さ。空気を取り込もうと盛り上がる胸。
 汚い仕事ばかりやらされているくせに、一向に焼けない肌が水滴を残して光をはじいている。
 残った酒が辛いのだろう、右手が所在無く頭を行き来している。

 アバッキオは右手に握ったものを何度か握りなおした。

 なぜか、汗ばんでいる。

 
 (そうだ、おかしくなんかねえだろ。
 だってここには俺とお前しかいなくて、お前以外には俺しかいないんだ)


 
 たったそれだけ。
 
 それだけだ。



 「おい」

 
  
 アバッキオの呼びかけに、ジョルノは一足遅れて「Si」と答える。
 あまり頭を動かしたくないのだろう。
 顔は斜め上を見たまま、瞳だけこちらに向けてきた。

 アバッキオはつれないそぶりのジョルノに内心若干の苛立ちを感じたが、
 舌打ちは心の中でだけにして、手の中に握ったものをテーブルに放った。
 小さな箱がテーブルをすべり、ジョルノのちょうど目の前でとまる。
 ジョルノはそれを横目で確認すると、緩慢な動きでゆっくり上体を正すとそれを手に取った。


 「・・・鎮痛剤」

 「そんなん読めばわかるだろ」

 
 (違う。

 こんなに冷たい言い方、してえんじゃねえ。)


 いつものやりとりのはずなのに、なぜか一人ごちてしまう。

 読んでもいない新聞の文字を、せわしなく追うのは焦りのサイン。
 

 ジョルノはちらりと上目遣いでアバッキオを確認すると、聞いた。

 「・・・これ、誰が?」


 
 冷静を装った心臓が、ドキリと跳ねた。

 
 (ばっかやろう!!そんな事聞くんじゃねえ!!!!)

 
 この歳になると、大した事で驚きはしないかわりに、このような突然の右ストレートは真正面から受けてしまう。
 突然の核心を突いたジョルノの問いかけに、アバッキオの手の平はますます汗ばんだ。
 自分なりに冷静を装っているつもりだが、顔が不自然にゆがんでいないかどうかだけが気になった。
 
 
 (別に俺がもともと持ってたヤツをやっただけなんだからおかしくねーだろ)

 
 ジョルノの視線を感じながら、幾度か「俺だよ」と心の中で呟いたが、それが口を出ることは無かった。
 
 
 (普通に言やぁいいんだろ。だってよ・・・)

 
 「あー」

 
 突然思考に割り込んできた声に、アバッキオが顔を上げる。

 先ほどまでこちらを見ていたジョルノは、薬を眺め微笑んだ。

 
 
 「ブチャラティですか」


 
 何かが、ピシ、と鋭い音を立てる。 

 
 
 「ほんとによく・・・僕のことわかってくれてる」

 
 最後の言葉は、まるでここにいないブチャラティ本人に告げたかのように甘く響いた。
 ジョルノの顔は先ほどの痛みなどもう感じないかのように、柔らかい。

 すでに新聞をおろしたアバッキオの顔が、今度は対照的に険しくなる。
 口の中でだけ何か呟くが、声にはならない。
 無意識に力が込められた手の中で、新聞紙が悲痛な叫びをあげる。
 
 

 「・・・チッ」



 しばらくの間の後、今度こそ大きな舌打ちをしてアバッキオは席を立った。
 ガタンと不機嫌な音を立てたイスを直しもせずに、階段へ向かう。
 2階へ向かうその足音は、鉄仕込みの靴底である事をのぞいても恐ろしいほどに大きく、鋭く。
 若干足早に、その音は廊下をわたり、最後にはバタン!という大きな音と共にドアが閉められ静寂が戻った。

 
 しん、と、耳が痛くなるほどの静寂。


 先ほどまで見つめていた薬が手から滑り落ち、ことん、と小さな音を立ててテーブルに転がる。
 うつむいたジョルノの顔からは先ほどの笑みは消え、まるで今にも泣き出しそうに歪んでいた。
 ぎゅっと握った拳で口元を覆い、ジョルノは小さく口の中でだけ呟いた。

 

 自室に逃げてしまったアバッキオは、ベッドに横たわったまま天井を睨みつける。
 認めない、認めない、認めない、といい続けていたのに。
 子供ならではの無邪気さで、自分が必死に覆っていたメッキが剥がされた。
 伸ばした腕をゆっくりを折り、手のひらで顔を覆った。
 そうして、小さく呟く。



 (僕は)

 (俺は)


 ((こんなことがしたいんじゃないのに))


 
 
 


 今朝、アルコールの残った頭をうなだれたジョルノが部屋を出ると、
 ちょうど階段をのぼってきたナランチャに出くわした。
 彼の手には数学のノート。
 サボったな、と直感した。
 朝の挨拶を軽くかわし、ジョルノはごく短い会話を続けた。

 
 『ナランチャ、アバッキオはリビングですか』

 『うん、そうだよ』

 『そうですか・・・というか、いいんですか、数学やらないとフーゴに刺されますよ』

 『いーんだよあんなヤツー・・・ってお前ら同じこと言ってら』

 『なにがですか???』

 『んーううん、なんでもないよ』

 『なんですかナランチャ』

 
 極めて穏やかに言ったつもりだったのに、
 見つめたナランチャは初めて見るほどに真剣な眼差しだった。
 ノートを手に、するりとジョルノの横を通り抜けるナランチャは、通りすがりに呟いた。


 『ジョルノ、お前のアプローチはわかりにくいっつーか、わからねぇ』




 

 ジョルノは天井を仰ぎ見た。

 好きだと思うことが、告げることが、示すことが、こんなにも難しい人を愛してしまった。
 
 テーブルに取り残された薬の箱が、まるで自分を罵倒しているかのようだ。
 
 いつの間にかつりあがった口角が、誤魔化すような自嘲気味の笑いを浮かべる。

 ナランチャのように、誰かれ構わず気持ちを押し出せればいいのに。



 あの人の言葉を聞くのがこわくて、いつもいつも遮ってしまう。
 その先を聞きたくなくて。
 僕の期待している言葉じゃないのが、こわくて。


 指先で、薬をはじく。


 (アバッキオが僕の為に薬を用意するわけ、ないじゃないか)



 ひとつ、ひとつ、言えない言葉ばかりカプセルに詰めて。
 言えないままに、飲んでしまう。
 そうして、独り言だけ増えてゆく。
 

 
 ((ああ))



 
 
 ため息すら、届けられなくて。
 こんなにたくさん、飲み込んだって。





 (あなたが)


 (おまえが)




 




 (ブチャラティのものだなんて。)







 なにひとつ、届かない。









 fin.
 
 
 



 初・アバジョル。

 アバジョルはすれ違いのイメージです。
 だって二人とも素直じゃないから。
 そして、お互い「あいつはブチャラティが好き」と思ってる。
 ま、確かにブチャラティはジョルが好きだけど。
 
 もっと萌えるのは、ブチャはアバとジョルが両思いなのをなにげに知ってて、 
 でも二人が不器用なのをいいことに、アバにはまるでジョルと自分が両思いかのように。
 そしてジョルには、まるでアバが自分を想ってるかのように装っているといい。

 そんな黒いブチャが絡んでるバージョンを今度はお届けしたいです。



 
 
 



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